錆びついた男社会に飛び込む女社長
青森県八戸市。太平洋に面し、古くから漁業や工業が盛んなこの町は、豊かな自然と発展する産業が共存する地である。国内有数の水揚げ量を誇る漁港があり、新鮮な海産物が全国へと供給される。また工業都市としても成長し、船舶や発電設備などのメンテナンス技術が蓄積されてきた。
この地に根付き、時代とともに歩んできた企業がある。株式会社菅原ディーゼル。船舶や発電機、工場用機器などの大型機械のメンテナンスを担うその会社は、創業から95年、まもなく100周年を迎えようとしている。その舵を取るのは、四代目社長・岩間未希子代表だ。彼女のキャリアは、最初からエンジンと共にあったわけではない。幼少期から「女性だから」という言葉と戦いながら、銀行員としての経験を積み、家業を継ぐ決意を固めた彼女の生き方は、まさに強くしなやかである。
「男の子だったらよかったのに」
菅原ディーゼルの歴史は、1930年(昭和5年)に初代・菅原喜四郎が漁船の焼玉エンジン製造と修理を始めたことから始まる。八戸港に近い立地を活かし、地元の漁船を支えながら成長してきた。しかし、1970年代に排他的経済水域(EEZ)が制定されると、漁業のあり方が一変。船舶整備に頼る経営は難しくなり、不渡手形が束になるほどの経営危機に見舞われたという。だが、菅原ディーゼルはここで柔軟な発想を持ち、船舶整備技術を陸上機械のメンテナンスへと応用。この転換が、今日の安定した基盤を築くきっかけとなった。
岩間未希子、1990年生まれ。三姉妹の末っ子として育ち、幼少期には父から「男の子だったらよかったのに」と言われた過去を持つ。幼心に「女性だから」と言われ表現できない悔しさを感じながらも、その経験が彼女の原動力となった。
大学卒業後は青森銀行に入社し、個人ローンや法人融資、資産運用など幅広い業務を経験。そこで得たのは「人との信頼関係」の大切さだった。特に法人融資を担当していた時期には、多くの経営者と向き合い、企業を存続させることの難しさを肌で感じる。その中で自然と父の会社を意識し始め、「もし私が継がなければ、会社はどうなるのか」という思いが芽生えた。そして、前社長である父からの誘いもあり、2022年に家業へ転職。2024年、33歳の若さで社長に就任した。
銀行員から、ディーゼルエンジンのメンテナンス業へ。業界の違いは歴然だった。しかも、菅原ディーゼルの現場は男性社会。工具の匂い、オイルの染み込んだ作業着、長年培われた現場の勘。それらは彼女にとって未知の領域であり、歓迎されないのではないかという心配もあった。最初は「社長が女性で大丈夫か?」という不安の声も少なからずあった。しかし、彼女は真正面から向き合った。
入社後すぐに現場の社員と面談を重ね、匿名アンケートを実施。社員の本音を引き出し、会社の問題点を洗い出した。その結果、彼女が想像していたよりも社員の会社愛は強く、「もっと良い会社にしたい」という思いがさらに強まった。そして、ただ感じるだけでなく、動いた。彼女は就業規則を見直し、社員の働きやすさを向上させた。休暇届の「理由欄」を撤廃し、堂々と休める会社へと変えた。そして何より、組織内の対話を増やし、社員の声を聞くことを何よりも大切にしたのである。
“過酷”のレッテルを剥がせ
現在、菅原ディーゼルは船舶整備に加え、病院の非常用発電機や工場の機械メンテナンスなど、社会インフラを支える企業へと成長している。今後はクリーンエネルギーの台頭を見据え、ディーゼルエンジン以外の動力にも対応できる技術を磨いていく計画だ。
彼女が目指すのは、「技術職=過酷」というレッテルの払拭だ。エンジン整備の仕事は、確かに一朝一夕で語れるような簡単なものではない。だが、それは“自分にしかできない技術”を持つという誇りでもあるといえる。岩間は、若い世代にこの仕事の魅力を伝え、彼らが未来のエンジンを支える存在となるよう、発信を続けている。
そして、彼女の心の中にある「共存共栄」の精神。これは自社の利益だけでなく、取引先や地域社会の発展を共に目指すという、創業以来菅原ディーゼルが大切にしてきた価値観であり、考え方だ。「私利私欲ではなく、相手の幸せを考えることが、最終的に自分たちの成長につながると確信しています。」そう語る彼女の眼差しは、菅原ディーゼルを率いる人間として確かな未来を見据えている。
青森に響き続けるディーゼルの音
貧しい環境から身を起こし、自らの力でビジネスを築き上げた女性がいる。サラ・ブリードラヴこと、マダム・C・J・ウォーカー。彼女は黒人女性として初めて成功を収めた実業家であり、逆境の中で自らの道を切り開いた。
歴史の中で、「女性だから」という理由で可能性を閉ざされてきた者たちがいる。しかし、その中には逆境を乗り越えた者もいる。岩間未希子の歩みもまた、それに通じるものがある。性別の壁、業界の壁、世代の壁。あらゆるハードルを乗り越え、会社を牽引する彼女の姿は、ウォーカーが築いた道と重なる。新しい時代の中で、古い価値観を打破し、次の世代へとつなげていく。その使命感を胸に、岩間は今日も前へと進み続ける。
「この会社を守り抜く。それが私の使命です」そう朗らかに語る彼女の言葉には、迷いがない。八戸の冷たく澄んだ空気、エンジンの唸りが響く。その音は、この地に根を下ろして90年以上、菅原ディーゼルが築き上げてきた歴史の鼓動だ。そして、その鼓動を新たな時代へと響かせるのが、四代目代表・岩間未希子である。これからも、八戸の風を受けながら、菅原ディーゼルという企業をさらに発展させ、新たな未来へと導いていくだろう。