社長は業界未経験
ある男がいた。江戸時代末期の農村に生まれ、貧しさの中で自ら学び、田畑を耕し、財を成した。二宮尊徳…彼の哲学は「積小為大」、小さな努力を積み重ね、大きな成果を生むことにあった。彼はただの農民ではなく、改革者だった。荒れ果てた土地を耕し、村を豊かにし、未来を切り拓いた。その姿勢は、現代にも通じる。地道な労働と信念があれば、不可能を可能にできる。
そして、今。青森県十和田市の縫製工場である有限会社アクシス十和田にも、泉章太郎という人間がいる。ファッション業界のキャリアを経て、まったくの未経験でこの工場の代表に就任した泉。M&Aによる事業承継、つまり「縫製業のプロ」ではなく、「経営の視点を持つ者」として、この世界に飛び込んだのだ。どのようにしてこの挑戦へと踏み出したのか…その背景とは。
信頼とはなにか
1990年、福岡県に生まれ、ファッション業界に身を置きながら様々な経験を積んできた。大村美容ファッション専門学校を卒業後、セレクトショップ「DICE&DICE」に入社。そこで販売員として現場の最前線を経験し、その後、東京の「UNIX TOKYO株式会社」に転職。バイヤー業務に携わりながら、事業の構造や経営の視点を学んでいった。そして2022年、親会社のM&Aを機に、アクシス十和田の代表取締役に就任。経営者として改革に乗り出した。そんな泉がたどり着いたのは、誰もが「斜陽産業」と口を揃える縫製業界。しかも、青森。それでも泉は縁もゆかりもない土地に根を下ろす決断をした。
泉は語る。「最初の一年は、本当に大変でした。そもそも私は縫製経験ゼロ、そして現場の職人さんたちは何十年も針を握ってきたベテランばかり。そんな皆さんの前に、突然30代の若造が現れて、社長だと言って…そりゃ反発だらけでした(笑)」
そして代表に就任して間もないタイミングで、泉が聞いた言葉がある。「縫製技術が高い人ほど損をする」「孫(のような若い人)には縫製工場で働いてほしくない」衝撃を受けた。「そんなはずない。パリコレの洋服を縫っている職人たちが、自分の仕事を誇れないなんて、おかしい。」
まず、信頼を築くことから始めた。毎日、一人ひとりに挨拶をする。時にはミシンの横に立ち、職人の手元を見つめ、学び続けた。社長という肩書きよりも、同じ場所で汗を流す仲間であること。それが、工場を動かす原動力になった。
そして今、泉のその姿勢は確かな成果を生み出している。職人たちの間には新たな誇りが生まれ、工場の生産力も向上した。新規の取引先も増え、経営の安定化が進む。未来に向けた改革は続くが、確実にその基盤は築かれつつある。
サステナブルとは「活かす」こと
アクシス十和田は、1988年に創業した縫製工場だ。特筆すべきは、メンズ・レディースを問わず、ジャケットからパンツ、ワンピースまでフルアイテムを手掛ける技術力。国内トップブランド、mame kurogouchiやssstein、yohji yamamotoなどのコレクションアイテムを縫製している。
しかし、時代は変わる。大量生産・大量消費の時代は終わり、個人ブランドが台頭する時代へ。そしてさらに時代は変わりつつある…泉はこの変化を見極め、工場の経営戦略をシフトした。「一つのアイテムに特化した工場では、生き残れない。多角的に対応できる柔軟性が求められると必然的に感じていました。」
アクシス十和田は新たな取り組みを開始した。全国の縫製技術者と連携する「Sewing Office」、そして工場で余った生地(残反)を活用し、クッションカバーを製作・販売する「HOMESICK」である。「HOMESICK」はただのサステナブル商品ではない。根本的にサステナブルという言葉に違和感を覚える泉はこう語る。「本当にエコを考えるなら、そもそも洋服をつくらないのが一番のサステナブル。でも、私たちはつくる仕事をしている。ならば、この矛盾を一致させ、いかに価値を付与するべきかを考えるべきなんです。」「HOMESICK」は残反を組み合わせることで、サステナブルな商品かつ、世界に一つだけの商品を実現する試みである。泉はファッション業界とは異なる新たな市場へ挑戦している。
アクシス十和田の目指す場所
「青森の空気は、吸うだけで肺が喜んでいる気がするんです。」そう語る泉が率いるアクシス十和田が目指すのは、ただの縫製工場ではない。「まずは、従業員の給与を上げる。それが私の最優先課題だと捉えています。」労働環境を整え、働く人々が誇れる場所にする。その先に、業界の未来がある。小さな積み重ねが、大きな変化を生む。泉章太郎という人間がいる限り、アクシス十和田の未来は、確かに紡がれていくだろう。
「未来のことを語る前に、目の前の人を幸せにする。大げさかもしれませんがそれができなければ、夢なんて語る資格はないと思います。」その姿勢は、まるで二宮尊徳の「積小為大」の哲学そのものだ。
「何かに挑戦することに、完璧な準備はいらないと思います。私自身も未経験で飛び込んだ人間です。でも、やると決めたら、目の前のことに真摯に向き合い、積み重ねるしかない。今いる場所でできることを続けていれば、いつか必ず道が開けると思います。」挑戦を恐れず、目の前の一歩を踏み出すこと。それが未来を創る力になるのだ。