南郷村のサッカー少年
青森県八戸市の南部に位置する南郷村。かつては独立した村であり、豊かな自然に囲まれながらも、サッカーとは無縁に思えたこの地から、Jリーグを目指すクラブが誕生した。その名は「ヴァンラーレ八戸」。その立役者が、南郷村のサッカー少年であり、現在代表取締役社長の下平賢吾である。
幼少期からサッカーに夢中になり、光星学院高校(現・八戸学院光星高校)では全国大会へ出場。東北のマラドーナという異名がつけられるほど目覚ましい活躍を続けていた。しかし、1993年のJリーグ開幕を目の当たりにしながらも、「プロサッカー選手になる」という道は、当時の青森県の環境では遠いものだった。彼が選んだのは、地元でスポーツに関わり続ける道だった。1998年、南郷村公共施設管理公社に入社。施設管理の仕事を通じて地域のスポーツ文化を支えつつ、地元でサッカーの指導を続けた。そして2006年、彼の運命を大きく変える出来事が起こる。南郷村が八戸市に吸収合併されることが決まり、それに伴い、地元のスポーツ施設が再編されることになったのだ。
地域のサッカー文化を絶やしたくない。その想いが、彼をヴァンラーレ八戸創設へと駆り立てた。ヴァンラーレ八戸。その名前には「ヴァン(起源)」と「アウストラーレ(南の郷)」という意味が込められている。南郷村から始まったクラブが、八戸、さらには青森全体を巻き込む存在になることを示唆するように。
涙を飲んだ日々
2006年にNPO法人として発足したヴァンラーレ八戸は、当初は社会人サッカーチームの一つに過ぎなかった。しかし、クラブを単なる「大人のためのサッカーの場」ではなく、「子どもたちの夢を支える場」とするために、育成組織にも力を入れた。だが、それだけでは満足しない。2008年、クラブは「Jリーグ昇格」を目標に掲げることを宣言する。
ヴァンラーレ八戸がJFL(日本フットボールリーグ)に昇格するまでの道のりは、まさに地獄だったと下平は語る。当時、クラブは東北社会人リーグの2部に所属。その先には1部、全国地域リーグ決勝大会、JFLと続く。Jリーグへの道はあまりにも遠かった。社会人リーグ1部の強豪を打ち破り、ようやく地域リーグ決勝大会に進出していくヴァンラーレ八戸。しかし、全国5000以上あるクラブの中で、JFLに昇格できるのはたった2チーム。資金、人材、施設、すべてが不足していた。選手たちは仕事をしながらトレーニングを続け、遠征費すら自費負担をかけてしまうこともあった。
さらに追い打ちをかけたのはJ3創設のタイミングだった。2014年、J3が新設されることでJFLのチームが大量に抜け、新規参入のチャンスが訪れる。しかし、条件が厳しかった。JFLの成績4位以内、1試合平均観客2000人以上、年間事業収入1.5億円以上、そしてJリーグ基準のスタジアム準備。どれも簡単に満たせるものではなかった。しかも1年間のうちにすべてを満たす必要があり、一つでも欠けてしまうとJリーグの参入は叶わない。
クラブは必死だった。試合前には地元企業を回り、一軒一軒スポンサーを募った。メディアの力を借り、地元住民を巻き込み、「Jリーグへの挑戦」を訴え続けた。しかし、2016年、JFL2位の成績を収めながらも、スタジアム基準を満たせずJ3昇格を逃した。何度もあと一歩のところで涙を飲んだ。「もう無理なんじゃないかと。選手もスタッフも、心が折れる寸前でした。」だが、下平は諦めなかった。市長をJFL事務局に連れて行き、自治体の支援を直接交渉。当時の八戸市長は「ヴァンラーレ八戸の未来のために」と事務局に嘆願した。そしてついに2018年、J3昇格が決定。涙と歓喜が交錯する、歴史的な瞬間だった。後にJFLは「ここまで自治体が支援するクラブはなかった。八戸しかなかった」と下平の活躍を高く評価していたという。
Jリーグ参入は“試合開始の合図”
Jリーグ昇格はゴールではなかった。むしろ、戦いはここからだった。経営基盤の安定、観客動員数の増加、強化費の確保。J3クラブとして生き残るために、新たな挑戦が始まった。下平は、クラブを「地域の誇り」として根付かせることを決意した。ホームスタジアムであるプライフーズスタジアムの改修、地元企業とのパートナーシップ強化、地域イベントへの積極的な参加。クラブはサッカーだけでなく、地元経済の活性化にも貢献する存在となった。
また、ユース世代の育成にも力を入れた。ヴァンラーレ八戸のアカデミーは、青森県全域から選手を集め、次世代のサッカー選手を育成する場となった。「Jリーグで戦うだけでなく、青森の子どもたちが夢を持てる環境を作る」ことこそ、下平の新たな使命だった。
ヴァンラーレの使命
フランス代表をヨーロッパ王者へと導いたミシェル・イダルゴは、華やかなスター選手を輝かせるために、裏方に徹した名将だった。フランス代表の黄金期を築きながらも、自らは常に影の存在であり続けた。下平賢吾の姿勢もまさにそれだ。なによりも、選手がより良いパフォーマンスを発揮できる環境を整えることを優先する。彼の努力の多くは決して目立つものではないが、その積み重ねがヴァンラーレ八戸の現在をつくり上げた。
選手が活躍できる環境を整える。その思いがある限り、彼は常にクラブを支え続ける。彼自身が前に出ることはなくとも、ヴァンラーレ八戸が成長し続ける限り、彼の存在感は決して薄れることはない。自己犠牲ではない。これは使命だ。八戸の風の中で、今日も彼は静かにクラブを支え続ける。